「地域のために医療従事者としてできること」を考え、実践する
高校卒業後、現在のえびえ記念病院に入職。看護助手として働きながら、准看護師・看護師免許を取得。急性期一般病棟、回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟、救急外来とさまざまな部署を経験し、現在はHCU(ハイケアユニット)とコロナ専門病棟の統括師長を務める。
▼目次
看護師としての歩み
地域の病院としての責任感
人材育成
当院で働く魅力
私のモットー・好きな言葉
看護師としての歩み
- 看護師を目指したきっかけ
母が看護師をしていました。私が小さい頃は今のように預ける所がなかったので、母が働く姿をそばで見る機会がありました。患者さんと接している姿がすごくかっこよく見え、強い憧れを持っていました。
しかし、母からは「あなたみたいなズボラな子に看護師の仕事は無理よ」とすごく反対されました。当時の話を改めて母に聞くと、「看護師の仕事は大変なことも多く、自分の子どもに辛い仕事をさせたくない」というのが本音だったようです。
それでも看護師になりたいと考えていた私は、学校の先生に相談して、病院奨学金制度があった現在のえびえ記念病院への就職を決めました。看護助手として病院で働きながら学校に通い、准看護師そして看護師免許を取得しました。
- 諦めかけた看護師への道
実際に病院に務めると理想と現実のギャップに戸惑い、看護師への道を諦めようと思うこともありました。
働き始めて間もない頃、50代とまだ若い患者さんが、さっきまで普通にお話ができていたのに急変して亡くなられる場面を目の当たりにしました。「元気になって退院していく」そんな場面ばかりを想像していた私は家に帰ってからも涙が止まらず、「私には看護師の仕事は務まらない」と考え込んでしまいました。
しかし、時間が経つにつれて「看護師だからこそ、患者さんの最期に寄り添うことができる」と考え直すことができました。「看護師になって、ご家族のケアも含めてしっかり看取りの現場にも向き合えるように頑張ろう」と決意を新たにして看護師を目指しました。
地域の病院としての責任感
- 医療従事者としてできること
新型コロナウイルスが流行し始めたちょうどその頃に、当院の感染委員を私が務めることになりました。それまで全く携わっていなかった分野で一から勉強しなければと思っていた矢先、あっという間に全国に感染が広がっていき、当院でも感染者が出てしまいました。病院としても、私個人としても模索しながらの状況で、文献を調べたり、他病院での感染対策の取り組み等をとにかく情報収集しました。「感染を広げない・新たな感染者を出さない」という使命に向かって、看護師だけでなく他医療職、事務職とも協力しながら全職員が一致団結して取り組んでいきました。
当初は発熱外来もコロナ病棟もしない予定だったのですが、保健所も逼迫し、他病院に頼むこともできない状況下において「地域密着の病院として、私たちがやるしかない」「やらない理由ではなくて、できる方法を考えよう」と変わっていきました。
「医療従事者としてできることをやる」
そんな思いで一致団結し、一人の声では実現できないことを職員のみんなが意見を出し合って協力的に取り組んだ結果、今につながっていると感じています。
- 地域の健康と安心のために
コロナ禍初期の頃は、発熱症状が出ているのにどこも見てくれない、たらい回しにされるといった話をよく聞いていました。当院の発熱外来に来られたある患者さんは、検査の結果が陽性だと分かると泣いていらっしゃった。自分がコロナに罹ってしまったショックもあったようですが、そのまま検査もできずコロナと診断されずに過ごしていたらどれだけの人に迷惑をかけていたのか…などと考えられたようでした。そんな患者さんを見て、発熱外来を設立できて良かったと改めて感じました。
人材育成
- 何でも相談できる理解者でありたい
私は今、師長という立場ではありますが、現場スタッフ達にとっての『距離の近い理解者でありたい』と考えています。
私が新人の頃を振り返ると、歳の離れた先輩方は厳しくも優しく、いつも気にかけて声かけをしてくれていました。色々と悩みも聞いてもらって、何でも相談できる先輩・上司でした。私もそんな看護師になりたいと思い、師長になった今は、現場スタッフへの日々の声かけを心がけています。
また、スタッフ同士でも相談し合える関係性を作ってあげたいと考えています。新人研修の一環として、月に1回は新人スタッフが集まって、「今こういうふうな状況で困っています」などと近況報告・悩み相談をし合える環境を積極的に作ってあげられるように工夫しています。
当院で働く魅力
- 地域とのつながりを感じられる
当院は、地域密着をモットーとしています。患者さんとの距離が近く、退院してからも気さくに声をかけていただける。地域とのつながりを感じられる病院です。
脳疾患で知能が低下してしまった女の子がいました。入院中に私が担当していた患者さんで、退院してから病院の外で会ったときに「看護師さん!」と駆け寄って声をかけてくれました。その子のお母さんは私が私服だったため看護師とは気付かず、娘さんが間違って声をかけていると思われたようでした。私が「松本病院の看護師です。覚えてくれてたんですね」と伝えると、お母さんは大変驚かれていました。10年経った今でも、私を見つけると声をかけにきてくれます。
地域・患者さんとのつながりを感じる瞬間です。
- 多様な働き方・キャリアを描ける場所
私は子育てをしながら当院で働いてきました。最初は急性期病棟の配属だったのですが、子どもが生まれてからは子育ての状況の変化に配慮していただきながら、回復期や地域包括ケア病棟へ異動をさせてもらいました。そこでは退院支援・退院調整といった新たな経験をすることができました。子どもが小学校高学年になり子育てが少し落ち着いてきた頃に、また急性期に戻ってHCU配属となりました。
ライフステージに合わせて働き方を変えることができることは、当院の魅力の一つだと思います。
大きな急性期病院で経験を積まれて、これからは回復期でゆっくり患者さんと関わっていく看護がしたい方。地域包括ケアでは看取りがあるので、そういった経験・勉強をしたい方。認知症に関する専門知識を身に付けるために研修等に参加している方。さまざまなキャリア観を持ったスタッフが集まっており、多様な経験を積むことが可能です。
私のモットー・好きな言葉
「勝負しなければ、何も変わらない」
やりもしないで諦めるよりは、失敗してでも色々なことにチャレンジしていきたい。それが私のモットーです。
(写真・インタビュー・文:MottoBrand 福井勝雄)
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